【2005年4月の出来事】

4月26日 下関出発

下関港からフェリーで釜山へ渡る。

今回利用したのは「日韓共同きっぷ」(韓国側で買うと“韓日”となっている)というもので、JR九州と大韓民国鉄道庁が共同で発行している切符。
(1)小倉駅~下関駅までの電車代
(2)下関から釜山までのフェリー代
(3)釜山駅からソウル駅までの特急列車代(全席指定セマウル号)
がセットになったお得な切符だ。出発駅にもよるが、小倉発の場合で片道9千円。言葉の通じない韓国の駅で切符を買う手間を考えれば、精神的にも経済的にもお得である。日本で往復買うこともできるが、韓国側で買った方がいくらか安いとのことで、私たちは帰りのチケットはソウルで買うことにした。

下関駅からフェリーターミナルへは、徒歩5分ほどで行ける。陸橋があるので迷うことなく到着。午後7時出発だったが、5時には窓口に来てくださいとのこと。

切符を乗船券に替えて出国カードの記入、イミグレーションが始まるまでロビーで夕飯を食べる。なるべく出費を抑えようと、弁当持参。

今回に限らず、私と俊ちゃんの旅はとにかく「低予算で楽しく」がモットーである。

フェリーは日本側の船の「はまゆう」と韓国側の「セオン号」とあるらしいが、今回は往復ともセオン号だった。スタッフは全員韓国人(多分)さすがに日本語は堪能だが、少しなまりがある。
(到着は何時ですか?と尋ねたら「着くのは3時ですが、けせんは8時です」と言われ「けせん」という港を経由するのかと思ったら「下船」のことだった…)

フェリーの部屋はもちろん二等船室。十畳くらいのスペースでサゴ寝である。3人の子連れ一家と同フロアになってしまい、一晩中子供の奇声に悩まされ続けた。おまけに予定外の月の使者が来てしまい、腹痛と腰痛のせいで生まれて初めて船の中で吐く。船酔いはしなかった。でも気分は最悪。

風呂は大浴場で、大きな窓からは海が見えた。洗い場は韓国人の行商のおばちゃんに占拠される。みな顔見知りらしく、身体を洗いながらずっと喋っていた。飛び交うハングル。さっぱり分からない。

乗客の中には欧米人も何人かいた。白人姉ちゃんと白人兄ちゃん、黒人っぽい兄ちゃんの3人組は同じフロア。黒人っぽい兄ちゃんは上半身裸で寝る主義らしく、腹痛に苦しみながらも良い身体を見せてもらい、とても癒された。ごちそうさま。
4月27日 釜山到着

朝8時、釜山国際ターミナル到着。

釜山は3度目なので、ターミナル周辺は馴染みがあってさして新鮮身もない。俊ちゃんは初めての韓国なので、何からなにまでが目新しい様。ターミナル内の銀行で日本円をウォンに替える(この日のレートW1005/¥100)

真っ先に今日の宿を目指す。クムカン旅人宿はシャワートイレ共同で二人で15000W。外観もかなり汚かったが、中もそれなりである。部屋はオンドル部屋で、古いテレビとハンガーを掛けるヤツ(名称が出てこない…)、ド派手なせんべい布団が敷かれている。部屋はよく掃除されていて小綺麗。牢獄のように狭いが、なんだか妙に気に入った。

宿の主人は日本語が話せるおばちゃんと聞いていたが、なぜかおじさん。少し言葉が不自由なようだった(?)親切な対応で愛想もいい。

昨日からの腹痛+ガキんちょの大騒ぎのせいで寝不足だった私は、倒れるように寝てしまった。起きたら午後2時。少し身体も楽になったので外出することにした。

宿から釜山の繁華街、南浦洞はほど近い。この辺も何度も来ているので、相変わらずといった印象。しかし韓国も最近は不況らしく、以前あったファッションビルがなくなっていたり、前回来た時にオープンしたばかりだったビルがもぬけの殻だったり。

屋台・露店はあちらこちらにある。おもちゃやアクセサリー、服や鞄におでんやおやつ。嗅覚障害のせいで匂いはあまりしなかったが、キムチ類は強烈で少し匂いがする。

小腹が空いたので、マクドナルドへ。雰囲気は日本と変わらないが、「バーガー」と言っても通じない。どうやら「ボーゴー」と言わなければいけないらしい。俊ちゃんは本で勉強してきたらしく、カウンターで「プルコギボーゴー、ジュセヨ」と言い放ったので驚いた。なかなかヤる。パンがぱさぱさでイマイチだった。ポテトにケチャップがついてくるのは嬉しいが、ケチャップを入れる容器はない。
※ちなみに沖縄のファーストフードでは、ポテトには必ずケチャプがついてくる。マクドナルドもモスバーガーもケンタッキーも然り。沖縄とアメリカにしかないA&Wなどではボトルごと置いてある。ポテトにケチャップがつかないのは、沖縄県人が県外で遭遇するカルチャーショックのうちの一つ(と言うと大袈裟か)

再び町を彷徨う私と俊ちゃん。会話もせずにただ歩いているのに、なぜか日本語で客引きに声をかけられまくる。「見るだけ見るだけ」「コピーコピーコピー」

看板や店先のメニューには、おかしな日本語の表記も多かった。「ガラオゲ」「カバソ」「いらっしゅいませ」など。そういえばフェリーのトイレでは「トイレトペーパー以外流さないでください」とあった。一瞬気づかない。間違い探しか。

トイレと言えば、韓国では下水の水圧が低いらしくすぐ詰まるので、紙は流さないのが普通らしい。デカいゴミ箱に山盛りの使用済みテッシュが捨てられている。でもよく間違えて流してしまう。

少し足を伸ばして、チャガルチ市場へ向かう。海産物の市場である。日本でもなじみ深い魚から、見たこともない奇妙な生き物まで所狭しと並んでいる。中でも皮を被った男性器にそっくりな肌色の生き物には絶句してしまった。イソギンチャクの一種らしい。本で読むと、細かく切ってコチュジャンか何かで合え、生で食べるとか。大概のものは食べれる私でもちょっと躊躇う外見である。でも機会があればきっと食べる。残念ながら今回は口にする機会はなかった。次回は是非。

ボラが沢山売られていたのが不思議だった。日本だと釣れても捨てられてしまう魚。韓国では一般的な食材なのだろうか。去年どこかの川でボラが大量発生していたことを思い出した。

水槽から逃げるウナギ…。

南浦洞では子犬や子猫、子兎も売っていた。狭い箱に入れられてもそもそ動いている。猫は弱っている子が多かった。元気のいいヤツには首にヒモが付けられて逃げないようになっている。それでもジャンプして逃走を図っているトラ猫がいた。

ずっと見ていたら、若い男性が子犬を買っていった。一匹30000W。
(仮に韓国で動物を買っても、日本に連れて帰るのは難しいらしい。そりゃそうだ)

日も傾いてきたので、釜山タワーのある竜頭山公園へ。高台にあるが、エスカレーターがあるので楽チン。平たく伸ばした円形のカワハギの干物(?)やアイスを食べながら、日が暮れるの待つ。カップルや小型犬を連れた家族連れが多かった。夕陽は山に沈む。

夕飯はキムパップという韓国風海苔巻きのようなもの。屋台でもよく売られている。メニューが読めなくて苦労した。

宿に帰って、俊ちゃんの後にシャワーを浴びようとしたらお湯が出なかった。宿の主人に言いに行くのも面倒なので、その日は洗濯だけして就寝。テレビでは韓国のお笑い番組。言葉が分からないのでちっとも笑えない。せめて音楽番組でもやっていれば…。


4月28日 釜山2日目

地下鉄に乗って西面(ソミョン)へ。ロッテデパートがあって、南浦洞より近代的な若者の街といったところ。

とりあえずロッテデパートへも行ってみたが用がない。地下の食料品売場で試食をしたり、すりおろし梨ジュース(サガクサガク・ぺ)を買って一服。免税店へも行ってみるが、全くもって用がない。銀行で両替したあと、再び地下鉄に乗って早々と西面を後にした(地下鉄は大体どこまで行っても700W。交通費はやたら安い韓国)

地下鉄で釜山大学のある町へ。学生街だけあって、雑貨屋が多い。ぼーっと歩いていたら車に轢かれそうなった。車両が右側通行なので、日本の感覚でいるとどちらに避けていいのか分からなくて困る。それ以前に私の反射神経の問題だが…。滞在中はとにかくよく車に轢かれそうになった。

カモの串焼きを買って食べていると、日本語ペラペラの初老の男性が話しかけてきた。

「日本はどこから?」「私は三十年日本に住んでいてね」「ソウル生まれなんです。日本で言えば江戸っこだね」

最初、日本人かと思うほど言葉が上手かった。長い串を半分に切ってやるのでこっちへ来いと行った屋台のオヤジに「来いじゃなくて『いらっしゃい』ですよ」と言っていた。敬語もできる。素晴らしい。

カモの串焼きは油っぽかったが、美味かった。

地下鉄沿いに歩いて、隣りの温泉場まで行く。トンネ温泉として釜山では有名なところらしい。新しくて設備も充実していて、おまけに日本語まで通じるというスーパー銭湯のような「虚心庁」へ行ってみるが8000Wと少し高めなので、近くの「チョンイルオンチョン」へ。ホテルに併設された温泉で、こちらは半額の4000W。

受け付けで言葉が通じなくて一悶着。どうやら貴重品を預かるか預からないかでもめていたらしい。ホテルのフロントマンが助けにきてくれた。警備員のような服装をしていたので、一瞬捕まるのかと思って焦る。無事に温泉に入れて良かった。浴場では(一発変換で『欲情』と出る私のMac。愛おしい…)みんな垢すりをしていた。

それにしてもおばちゃんは、洗い場を占領するのが困る。湯船に浸かっている間くらい、洗い場は空けていて欲しい。ほとんどみんな、荷物を洗い場においたままである。

地下鉄で南浦洞まで戻り、屋台でホットク(ジャガイモで作った餅の中に、黒砂糖の水飴のようなものが入っているおやつ。あつあつで美味しい)を食べながら、今日の夕飯を食べる店を物色。

参鶏湯(サンゲタン)が食べたかったのだが、ハングルが読めないせいでなかなか店が見つからない。結局入った店は湯(たん)専門店だったらしいが、メニューは5つほどしかない。参鶏湯はなかった。コムタンとかいう湯を頼むと、超薄味のスープにご飯とそうめん、牛肉が入っていた。とにかく味がない。

テーブルには塩の入ったツボがあったので、きっと味は自分で調節するのだろうと思う。

キムチもツボで置いてあったが、これがめちゃくちゃ美味かった。大根のキムチ(多分カクテキというヤツ)で、辛いけど甘い。周りの客も皿に山盛りにして食べていた。片手にキムチ、片手にスプーンで。キムチをおかずにごはんを食べる感覚。

俊ちゃんは味がないとぶーぶー文句を言っては湯を食べたがった私を責めたが、最後の最後に塩の存在に気づいていた。最初に言ったというのに…まったくもう。

滞在中、この湯のことでずっと俊ちゃんに責められ続けた私だった。不味くはなかったが、多分もう二度と食べないだろうな…とは私も思う。
4月29日 ソウルへ

昼近くまでぐっすり眠って、宿をチェックアウト。二泊した宿の主人は、「バイバーイ」と低い声で送り出してくれた。なかなかいい宿だった。また泊まってもいいかなと思わされる。

歩いて釜山駅へ向かう。改装中らしく、あちこち工事をしていたが新しくて綺麗な駅だった。駅前の広場では何かの宗教団体が演説をしていた。駅構内には、カモフラージュ柄の軍服を着た兵隊さんが多い。連休前だったから帰省するのかと思っていたが、韓国の徴兵制は約二年間の軍隊生活が終わっても、その後の数年は年に1回ほど臨時訓練に呼ばれるらしい。もしかしたらそれに出掛ける人たちなのかもしれない。

午後1時のセマウル号に乗って、ソウルへ。全席指定の特急列車だけあって、座席は広々、車内販売もある。せっかくなので弁当を購入。一つ5000W。ミネラルウォーターつき。中は辛いものが多かった。もちろんキムチ入り。

4時間半かけて、ソウル駅に到着。ここから数日はソウル近郊に住む友達の世話になる。駅まで迎えに来てくれるとのことだったが、姿が見あたらないので携帯に電話を掛けようと公衆電話を探す。するとキッズプレイコーナーで、彼女の娘を発見。本人より先に子供の方を見つけてしまった。半年ぶりだがあまり変わっていなかった。最初はちょっと人見知り気味。凍ったように動かなかった。

同じく半年ぶりの再会になる友達のたえと共に、まず旅行会社を探す。帰りのチケットをまだ買っていないからだ。しかし調べてきた旅行会社が見あたらない。交番で聞くとネットで調べてくれて、どうやら以前はあったが今はなくなってしまったらしい。とりあえず今日は家に帰って、他の会社を探すことにする。

単線のローカル列車に乗って、たえの住む街へ。ソウルは日本と同じく一極集中が激しいらしく、ソウル市周辺はベッドタウンになっていて、高層マンションが乱立していた。

たえの住むアパート(と言ってもマンションのようなもの。しかもかなり広くて3LDKトイレが二つある)について、まだ仕事から帰宅しない旦那抜きで夕飯をいただく。水餃子のようなものが入ったスープと、プルコギのようなもの、いろいろ。なかなか主婦をがんばっている様である。日本にいる頃はよく泊まりに行ったが、いつも彼女の母親の作る料理ばかりいただいていたので、思えばたえの手料理は初めてだったかも…?

夜10時をすぎて、旦那のダニエルが帰宅(ホントはキムさん。韓国人の21%はキムさんらしい)彼は新人の獣医さん。彼らの結婚式へも行ったし、日本でも何度か遊んでいるので旧友との再会と言う感じ。彼は日本語がかなり上達し、たえも素晴らしくハングルが上手くなっていた。

留学先のニュージーランドで出会った二人の、最初の共通語は英語だった。今は家庭では主にハングルらしい。娘のそらちゃんは、日本語とハングルを半々ぐらいで話す。まだ一歳半なので、聞き慣れないとどっちの言葉か分からないが、母親は「オンマ」父親は「アッパー」美味しいは「おいしい」と言う。韓国人であるダニエルは、やっぱり「マシッソヨ」と言ってほしいらしいが、たえも本当は「ママ」と言ってもらいたいらしい。まあどっちもどっち。

どこかに行きたい時は「あっちいこっか」と言うのが口癖のそらちゃんは、駄々をこねる時も「あっちいこっかぁ~~」と泣くので面白くて仕方がなかった。本人は大泣きしていて母親は怒っているのに申し訳ないが、そのたびに笑ってしまった。子供は面白い。

帰宅して十分も経てば人見知りも治って、私と俊ちゃんはすっかりそらちゃんの子守り役になってしまった。自分が大好きらしく、自分の写真集(1歳の記念で作ったらしい)をしょっちゅう見たがる。お気に入りの写真を見ては、手を叩いて大笑いしていた。ホントに子供は不思議。

……これでは旅日記ではなくて子守り日記だ。そういうわけで、韓国三日目の夜は更けていった。




4月30日 ソウル2日目

昼過ぎまで全員爆睡。ちょうど定休だったダニエルの運転で、オドゥ山統一展望台へ。アパートの近くでキムパップを買い、車の中でつまむ。

オドゥ山統一展望台は、北朝鮮側の岸までわずか450メートルほどという地点が間近に見られる場所で、肉眼でも向こう側の建物が見える。パーキングに車を停めて、シャトルバスに乗り込み(有料だが安い)展望台へ向かう。途中、兵隊さんが二人乗り込んできた。

展望台には双眼鏡が設置してあって、500Wで一分間ほど見られる。豆粒ほどの人が二人連れで歩いているのが見えたが、なんだか複雑な心境。

平日だったが人もそれなりにいて、みな熱心に双眼鏡を覗いている。資料館のようなものもあり、北側の写真や紙幣、切手、生活雑貨、教室、家庭の様子などが展示されている。

展望台の紹介をするビデオでは、ここが出来てから北側の町に近代的な建物を造るようになったり、政治放送を大音量で流したりと、行楽気分でくる観光客(韓国人も含む)へ向けての宣伝をするようになったと解説していた。ビデオはハングルと日本語の二種類がある。

私たちがいる間、いきなり韓国側から大音量で音楽が流れはじめた。ラジオの放送のようで、チューブのカバー曲を歌った韓国のポップス。何事かとたえに聞くと、展望台周辺に駐留している韓国軍人の精神安定のためだと言う。一日に何度も北側の政治放送が流れるので、段々神経がまいってくるのだそう。気分転換のために、韓国側の放送を流しているらしい。しかしこんな場所でチューブを聴くとは思わなかった。

次の目的地は独立記念館。高速道路を何時間も走って4時頃、やっとで着いた記念館はかなり大きい。パーキングから建物を目指して歩くと、途中で巨大なモニュメントなどがあった。

記念館は、古代から現代までの朝鮮半島の歴史を年代別に展示してある。全部で7棟くらいだったけど、時間がなくて5つまでしか見られなかったのが残念。

もちろん、日本が朝鮮半島を占領していた頃の年代は詳しく紹介されていた。何度も出てくる『日帝』の文字。日本の歴史の教科書ではほんの数ページ(あるいは1ページほどかもしれない)でしか触れられていない歴史が、ここでは何棟にも渡って続いている。ほとんどの展示物には日本語が添えられていた。それを読むだけでも、朝鮮半島の歴史がよく分かる。というか、今までいかに自分がこの半島に関して無知で無関心だったかということがよく分かった。目から鱗という感じだ。

日本という国がこの民族にしたことを、ここまではっきりと目にしたのは初めてだった。今まで私は、「日本人」というよりは「沖縄人」という感覚で生きてきた気がする。日本の歴史や沖縄(琉球)の歴史の中では、自分の属する民族は被害者的な立場にいた(日本が加害者的な立場の場合は、自分は日本人ではなく、沖縄人だと立場を置き換えることができた)

だけど、今私がいるのはかつて日本政府が植民地として支配して、文化や言葉や、民族としての誇りまでも奪ってしまおうとした国だ。

ここでは私は日本人でしかなかった。展示物の側にあるハングルは読めない。読めるのは日本語で、そこに何度も出てくる『日帝』は自分のことを言われているように感じた。

知っていたつもりでいた、日本の犯した罪を改めて目の前に突きつけられた一日。去年のワールドカップ共同開催や、今日の両国関係の進展は凄いことなのだと、つくづく思った私だった。

6時の閉館と共に閉め出されて、高速道路で帰路につく。渋滞にはまってしまい、夕飯を食べる店についたのは9時すぎだった。

住宅街から少し離れたところにある、穴場の店だというそこは、アヒル料理の店。アヒルと言っても、カモとアヒルは韓国では同じ呼び名らしく、もしからしたらカモ料理だったのかもしれない。味付けされた肉を鉄板で焼き、サンチュで巻いて食べる。ダニエルが注文した酒が妙に上手くて、人の酒を飲みまくる。調子にのって食べ過ぎて、あとでグロッキーになってしまった。韓国では暴飲暴食に注意である。

夕食のあとは健康ランドに行って、お風呂とサウナと堪能。仮眠ルームやDVDルームなどもあってかなりくつろげた。
5月1日 ソウル3日目

またまた昼まで爆睡。ダニエルは一人仕事へ出掛けていた。昨日の食べ残したアヒルを持ち帰ったので、それを昼食にして、列車でソウルまで出る。駅の近くの旅行社で、帰りのチケットを購入。たえのハングルのお陰で助かった。

歩いて南大門へ向かうと、韓国は今日は休日らしく人だらけ。思ったより安いものはなく、だらだらと歩き回ったり、南大門をバックに写真を撮ったり。

アウトドアショップ街に行きたいという俊ちゃんの希望で(南大門では、同じ業種が一カ所に集まっている)地図を手に、店の人に尋ねたりしながら探し回る。極小ガスコンロを買った俊ちゃんは、店のオヤジに「アーユー・ベトナム?」と言われたらしい。「タイランド? チャイニーズ?」と何度か尋ねられたが、最後までジャパニーズは出てこなかった。過去にネパールで現地人に間違われたこともあるとか…。

食堂でうどんとトッポギ(もちを甘辛いソースで炒めたもの)を食べる。その後、ジーンズショップでたえとお揃いのジーンズを買った。33000W。帰国してある店で、同じメーカーの似たデザインのジーンズが8000円で売っているのを発見。いい商売だ。

歩き回って疲れたのか、機嫌の悪いそらちゃんはぐずったあとすっかり熟睡してしまった。3人で交代で抱きながらソウル駅へ戻る。

仕事を終えたダニエルと、賑やかな新村(シンチョン)という街で待ち合わせ、夕飯をとる。俊ちゃんとダニエルは昨日、一緒にマッコリを飲む約束をしていたらしく、ダニエルは今日一日ずっと俊ちゃんとマッコリのことを考えていたらしい。怪しい二人。

日本に住みたいというたえは、俊ちゃんとダニエルが韓国で暮らし、自分は私とそらちゃんと一緒に石垣島に住もうと冗談を言っていた(半分本気)ダニエルは聞こえない振り。お互い自分のホームグラウンドが一番住み易いようだ。どうなることやら…。

ハングルがまったく分からない私たちから見れば彼女はだいぶ韓国に溶け込んでいるように見えたが、本人にとっては不都合も多いのだろうと思う。特に子供の教育のことがネックになっているらしかった。日本で生まれ育った彼女とっては、やはり韓国より日本で子育てをしたいと思うらしい。第三国へ行くのも一つの手だが…。本当に国際結婚は大変だ。
5月2日 慶州へ

朝、ダニエルより先にアパートを後にする。パジャマ姿の二人に見送られて駅へ向かった(そらちゃんはおやすみ中)たえはちょっぴり泣いたらしい。がんばれお母さん。

ローカル線に乗ってソウル駅へ。バーガーキングで朝食を食べて(やはりパンが不味い)10時発のセマウル号で釜山方面へ。チケットは釜山までだったが、テグ市で途中下車(東テグ駅)し、高速バスで慶州という街へ。一度乗り場を間違えて、危うく違う街へ行くところだった。チョンジュやらジンジュやらクァンジュやら、似たような地名が多い。目的地はキンジュ。高速バスの座席はセマウル号よりふかふかで、到着するまでぐっすり眠ってしまった。

3時半、慶州に到着。ターミナルからほど近いハンジン荘旅館へチェックイン。やたらと日本語が堪能な主人は、高い部屋から案内していく。30000Wの部屋はベッド、バス、トイレ付き。もっと安い部屋はないかと尋ねると28000Wのトイレ付き。もっと安い部屋、と食い下がるとやっと24000Wの薄いマットのバストイレ共同の部屋に連れて行った。もちろん一番安い部屋を選ぶ。宿の主人が作ったという慶州の街の地図を手に、「ゆっくり休んでから出掛けなさい」という言葉を無視してすぐに宿を出る。

慶州はユネスコ指定の世界遺産がある街で、例えるなら韓国の奈良と言った具合か。観光地なだけはあって、標識もローマ字表記があって分かりやすい。市内バスに乗って国立博物館へ向かう。意外と市街地は栄えていた。

館内の展示物には、もれなく日本語訳がある。ハングル、中国語、英語、日本語が常にセットで並んでいた。日本語の解説ビデオを見ているとガキンチョが物珍しそうにこちらを見ていた。韓国でも今は三連休の真っ最中らしく、恐ろしく子供が多い。バスの中には子供だけで博物館に向かう子たちもいて感心した。韓国の子供は勉強好きというのが私の印象。学歴を重視する風潮は、日本よりも激しいらしい。
帰りは古墳を見ながら歩いて宿まで帰る。人工(?)の古墳のような山に登っている人がいたので、調子に乗って挑戦しみたらすごく怖かった。登ることも降りることもできず斜面にへ張り付いている私。俊ちゃんに励まされてやっとで頂上に。なんでこんなことで必死にならないといけないんだが…。疲れた。

歩き疲れたので、コンビニでおにぎりを買い込んで宿の部屋で夕食を済ませる。宿の主人に、「近くにニュースハウスというところがあるから、行ってみなさい。いろんな人がいて面白いから。すぐ行きなさい」とやたらにせっつかれる。高い部屋を勧められたことで彼を快く思っていなかった私たちは(だが商売人としては当然と言えば当然の行動だ)面倒だったのでシャワーを浴びて部屋でのんびりとしていたが、ロビーに置いてあった情報ノート(宿に泊まった人が思い出やらメッセージやらを書いていくノート)に『ニュースハウスは面白い』と書いてあったので、とりあえず覗いてみることに。念のためお金は一切もたなかった(セコイ)

ニュースハウスは、日本人の奥さんを持つ韓国人がやっている非営利の日本語教室だった。授業と言っても黒板と教材を前にする堅苦しいものではなく、円を描いて並べた椅子に腰掛けて、日本語で会話をするという、気楽なもの。

主であるキムさん(彼も韓国人の21%に属するようだ)は、疑い深く手ぶらでやってきた私たちに笑顔で席を勧め、アイスまでくれた。ニュースハウスは本当に楽しいところだった。

俊ちゃんには「日本人ですか?」と言ったくせに、私には「でもそちらは日本じゃないですよね」と自信満々に言ってきたキムさん。「てっきりベトナム系かと思った」らしい。ああそうですか。日本人以外の目には、どうやら私はあまり日本人に見えないらしい。でも日本人だというと、「じゃあ沖縄でしょう」と言い当てられた。凄い。

日本語を勉強して慶州で宿をしたいと言っていたおばちゃんは、ここに通い始めてまだ2ヶ月だと言う。たどたどしいが、一生懸命日本語で質問してくる。他にも若い男性も同じく2ヶ月、寡黙な中年の男性は1ヶ月ほどだと言っていたが発音がとても上手かった。

彼らは私たちに日本語で質問し、私たちはハングルで返す。キムさんはペラペラなので、彼に教わりながら質問したが、発音が難しくて何度も怒られた…。それでも、まったく習ったことがないと言うと、「向いているよ! きっと前世はコリアンだね!」とおだてられた。その気になった私はハングルが勉強したくなる。文法は日本語と似ていて易しいが、問題は発音らしい。

11時までおしゃべりを楽しんで、ニュースハウスを後にした。宿に帰ってトイレに入ろうとしたら、思いっきり詰まっていた。宿の主人に知らせて直してもらう。綺麗に掃除してくれて、彼を快く思っていなかったことを反省。今更だが、なかなかいい宿である。

寝る前にもう一度トイレに入って帰ってきた私は、この旅最大のトラブルに見舞われた。部屋の鍵はボタンロック式で、調子が悪いらしくノブを回してもボタンが元に戻らなかった。それに気づかずに私は、そのままドアを締めてトイレに。部屋に戻ってきてノブを回しても、ドアが開かない。中にいるはずの俊ちゃんはうたた寝しているらしく、ノックしても声をかけてもうんともすんとも返事がなかった。廊下は音が響くのでそうそう大声も出せない。

……困った、閉め出された。

途方に暮れてロビーのソファに座る私。時刻は午前1時を過ぎている。もしかしら朝までここにいる羽目になるのだろうか…。もう一度ドアの前で俊ちゃんを呼ぶ。返事はない。ノックする。思い切って大きめにドアを叩くが、やっぱり返事はなかった。

くそ、起きろボケ!

と思っても夜中の宿の廊下では叫べるはずもない。

廊下をうろうろしていると、隣りの部屋に泊まっていた白人男性が何事かと廊下に出てきた。なぜかハングルで話しかけられる。「下に行って宿の主人を呼んだ方がいいよ」と言っているようだった。そりゃそうだろうが、なんせ今は夜中の1時。

それでも背に腹は替えられず、主人を起こしてスペアキーを貸してもらう。だが「多分これだ」と渡された鍵は合わなかった。焦る私の手から、心配そうに側にいた白人男性が鍵を奪って一つ一つ試し始めた。

すると、いきなりドアが開いた。

「…なにしてんの」

眠そうな俊ちゃんの一言。「てめーが起きないからだろうが!」と怒鳴りたい気分だったが、なにしろ真夜中の廊下なのでそれは抑えて、白人男性に礼を言って鍵を返しに行く。主人の部屋は鍵が閉まって灯りも消えていたので、ドアの側に鍵を置いて部屋に戻った。煮え切らない気分のまま就寝。


5月3日 慶州から釜山・釜山から下関へ

「そういえばアンタ、昨日白人と一緒にいなかった?」という俊ちゃんの言葉に殺意を覚えながら朝の支度。

階下に降りると、宿の主人に会う。「昨夜はすみませんでした」と言うと、あの後主人は間違った鍵を渡したことに気づいて、様子を見にきてくれていたらしい。改めて、なんていい宿!いい主人!と節操もなく思う私。

慶州へお越しの際は、みなさんどうぞバスターミナル近くのハンジン荘旅館へどうぞ。

チェックアウトした後、荷物を預かってもらって市内バスで世界遺産である仏国寺へ向かう。この日も子供が多かった。そして暑い。最終日に油断して日焼け止めを塗らなかった私は、ばっちり日焼けしてしまった。

韓国の寺は色合いが派手。原色使いで、装飾も派手だった。仏像の顔は日本とほとんど同じ。元々日本の仏教は朝鮮半島から伝わったそうなので、当然と言えば当然?

仏国寺から12番のバスに乗って、石屈庵へ。70年代に、雨宿りした郵便配達人が発見したという石像。さぞかし驚いたことだろう。想像するとちょっと面白い。思ったりより小さかった。額に宝石がはめ込まれている。昔はその宝石の灯りで、石像のある洞窟の中は照らされていたらしい(他の日本人ツアー客についていたガイドの解説による話)

パーキングまでの帰り道で、昨日のニュースハウスのキムさんに遭遇。だが電話中でしかもガイドの仕事中らしく(本業は旅行社らしい)忙しそうだったので声はかけなかった。
バスで宿へ戻り、釜山行きのバスを探す。市外バスターミナルと高速バスターミナルと二カ所あって、最初場所を間違えてしまい時間をロス。ギリギリで売場に入る。発車1分前なのにまだ並んでいる俊ちゃんを横目に、昼食を買って置こうと売店でパンを買う私。「ジュセヨー」と言ったのになぜか「ワンサウザント」と返されてしまった。支払いでもたついている間に、バスは発車をしようとしていたらしく、運転手と俊ちゃんに怒られながらやっと乗り込む。あやうく置いていかれるところだった…。でもバスの中でパンが食べられて良かった。

釜山行きのバスは、高速を降りてからの国道が混むらしく、終点のターミナルに着く前に、地下鉄の駅の側で降りることもできるらしい。昨日のニュースハウスで聞いたこの情報のお陰で、かなりの時間を短縮することができた。地下鉄に乗って再び釜山の街へ。 ケンタッキーで小腹を満たした後、コンビニでゆず茶から蚕のさなぎの缶詰やら、マッコリやらお土産を買い込む。4時半になったのでターミナルへ向かい、乗船時間ぎりぎりまで買い物をしていた。またもやゆず茶を買い込む。ゆず茶を買うのが私のこの旅の3番目の目的だったので、とりあえず満足(1番目は友達に会うこと。2番目は独立記念館)

フェリーに入ってすぐに風呂に入って、出航までの時間、展望デッキで釜山の街を見納め。7時出発がなぜか8時までのびてやっと出航した。夜景をカメラに納めて船内に戻り、その夜は遅くまでロビーでほとんど理解できない韓国のニュース番組を見ながらハングルの復習をしていた。 図書館で借りた「地球の歩き方」を改めて読むと、行き残した場所が沢山あった。ソウル市内にも、独立公園やら見所のありそうなところが沢山。次回は東大門へも行きたい。伝統茶も飲みたい。スタジオ観覧もしたい。
次に行く時はもっとハングルを勉強して行こうと痛感した旅だった。とにかくハングル文字が読めないのが大変だった。 往復フェリーの旅は休みが少ない社会人には勿体ない気もするが、予習復習をするには丁度いい。フェリーではなく博多港発の高速船ビートルでのチケットもあるので、福岡からの韓国旅行にはぜひ日韓共同きっぷをお勧めしたい。 別に私はJRの回し者ではないが。
戻る 次へ